富山県南砺市(なんとし)とはどんな場所?合掌造りだけじゃない地域の魅力を解説

南砺市の歩き方
  1. 南砺市の“全体像”──地図を見れば不思議な市
    1.  ▶ 面積と人口のギャップ
    2.  ▶ 中心地がない「多心型都市」
    3.  ▶ 地勢から見る“縦型”の市構造
    4.  ▶ 合併から20年:市民意識は?
  2. 【第2章】五箇山:世界遺産にして「生きた民俗資料館」
    1.  ▶ 合掌造りとは何か? 建物に込められた山の知恵
    2.  ▶ なぜこんな場所に集落が?:五箇山の地政学
    3.  ▶ 五箇山三大産業:山の中で自立して生きるための知恵
    4.  ▶ 「不便」を逆手に取った自給型文化
    5.  ▶ 五箇山の“今”:文化としての継承と暮らしの維持
  3.  【第3章】町と町が文化で張り合う“多心型の誇り”
    1.  ▶ 井波(いなみ):木彫刻と門前町の誇り
    2. ▶ 彫刻が“生活の風景”になっている町
    3.  ▶ 福光(ふくみつ):棟方志功と民芸・アートの町
    4. ▶ 志功が愛した農村文化と静けさ
    5. ▶ 農とアートの融合
    6.  ▶ 城端(じょうはな):小京都と呼ばれる町並みと祭礼の誇り
    7. ▶ 曳山祭という「誇りの極み」
    8.  ▶ 城端の“町家文化”と細道の美
    9.  ▶ 「うちの町が一番」の気概が文化を育てる
  4.  【第4章】南砺の人と暮らし
    1.  ▶ 自然と共に生きる生活リズム
    2.  ▶ 地域のつながりが生活の基盤
    3.  ▶ 伝統と現代のバランス
    4.  ▶ 地域の「顔」になる職人・農家・アーティスト
    5.  ▶ 生活の中の食文化
    6.  ▶ 外から来る人が感じる「懐かしさ」
  5. ▶ まとめ

南砺市の“全体像”──地図を見れば不思議な市

南砺市は、2004年11月1日に富山県西部で合併により誕生した市です。

それまで存在していた8つの町と村(井波・城端・福光・福野・井口・利賀・上平・平)が統合し、新たな行政単位として「南砺市」が誕生しました。

この合併は、全国的にも多く見られる“複数の町村による合併”の一つです。

一般的に市町村合併では、中心となる大きな都市に近隣が合流する形式が多いのに対し、南砺市の場合は複数の文化圏が横並びで集まったという成り立ちをしています。

 

 ▶ 面積と人口のギャップ

南砺市の面積は約669平方キロメートルで、富山県内では2番目の広さ。

しかし、人口はおよそ4万5千人(2024年時点)と人口密度は非常に低く、

これは「広いけれど人が分散して住んでいる=都市型ではない地方のまち」の典型でもあります。

実際、山間部(特に五箇山エリア)では、集落が数軒だけという場所も珍しくなく、

一方で井波や福光などでは町の商店街や住宅地が広がり、日常生活の中心になっています。

この「極端な人口分布の差」が、市内の交通、経済、行政の仕組みに大きな影響を与えています。

 

 ▶ 中心地がない「多心型都市」

南砺市には、はっきりとした“市の中心”が存在しません。

役所は福光にありますが、文化の中心は井波だったり、交通的には福野が便利だったりと、

それぞれの旧町村が、今も独自の重みを持って存在しているのです。

これを行政学的には「多心型都市」と呼びます。

つまり、ひとつの市に複数の“準中心地”がある構造です。

このような都市構造は、日本全国を見渡しても数少ない例のひとつです。

多くの市町村では、合併後に自然と一極集中が進みますが、

南砺市では今も“井波の人は井波”“福光の人は福光”という意識が強く残っているのが特徴です。

これは、悪いことではありません。

それぞれの地域に固有の文化と誇りがあり、それがあるからこそ

「地域に根ざした暮らし」が維持されているとも言えるのです。

 

 ▶ 地勢から見る“縦型”の市構造

 

地図で見ると、南砺市は北から南へと縦に細長い構造をしています。

北端は砺波市に接し、南端は岐阜県白川村と接しています。

このため、北部では稲作や商業が盛んですが、南部では林業や伝統工芸などが中心になります。

とくに南部の五箇山エリアでは、冬季には積雪が2〜3メートルになることもあり、

物理的にアクセスが困難な時期があるなど、

気候や生活圏も大きく異なるのです。

この地勢的な縦の長さが、南砺市の“地域差”をさらに際立たせています。

 

 ▶ 合併から20年:市民意識は?

南砺市が誕生してから、すでに20年が経過しました。

しかし、現在でも「井波町」「城端町」など旧町村名で呼ぶ人が多く、

日常会話でも「井波に行く」「福野の駅前」など、

市全体を一つのまとまりとして捉える意識は、必ずしも強くありません。

 

これは、合併で“行政単位”としては一体化したものの、

文化的・歴史的なアイデンティティが

それぞれの地域でしっかりと根付いていることの証拠でもあります。

このように、単なる観光地ではなく、構造的に奥深く、

文化の層が厚い市であることが、南砺市最大の魅力です。

 

【第2章】五箇山:世界遺産にして「生きた民俗資料館」

南砺市の南部、標高500〜600mの山間部に位置する「五箇山(ごかやま)」は、

1995年、ユネスコ世界文化遺産に登録された合掌造り集落の一角を成す地域です。

五箇山は、相倉(あいのくら)集落菅沼(すがぬま)集落という2つのエリアがあり、

どちらも今なお人が暮らしている“現役の集落”として世界的に注目されています。

ここではただ「古民家を見る」というだけではなく、

人々の暮らしそのものが“展示物”であり、“文化遺産”であるという意味で、

まさに「生きた民俗資料館」と呼ぶにふさわしい地域です。

 

 ▶ 合掌造りとは何か? 建物に込められた山の知恵

 

「合掌造り」とは、急勾配の茅葺き屋根を持つ日本家屋の形式で、

その名の通り、両手を合わせた“合掌”のような形をしています。

この構造には、五箇山の自然環境に即した合理的な知恵が詰まっています。

 

【構造の特徴】

屋根の傾斜角は60度以上

→ 豪雪が自然に滑り落ちるよう設計されている

3〜4階建ての吹き抜け構造

→ 上層階では養蚕が行われていた(湿度・通気性の確保)

全て木組み・釘を使わない工法

→ 山間部でも修理・交換が容易

 

合掌造りは“見た目の美しさ”で語られがちですが、

実際には、極めて実用的かつ持続可能な建築様式であり、

風雪・湿気・地震に対応する“知恵の塊”なのです。

 

 ▶ なぜこんな場所に集落が?:五箇山の地政学

 

五箇山は、「庄川」の最上流域に広がる険しい山あいにあり、

周囲を山に囲まれているため、冬季は数ヶ月にわたり陸の孤島化します。

かつて江戸時代、この地域は加賀藩の統治下にあり、

“隔絶された地の利”を逆手に取った独特の経済活動が行われていました。

 

 ▶ 五箇山三大産業:山の中で自立して生きるための知恵

  1. 養蚕と絹織物

→ 合掌造りの上層階で蚕を飼い、冬の間も安定した収入を確保

→ 近隣の白川郷・越中八尾とも繋がる経済圏を形成

 

  1. 五箇山和紙

→ 里芋などを栽培し、収穫後の冬に楮(こうぞ)を蒸して紙漉き

→ 今も「五箇山和紙の里」で手漉き体験が可能

 

  1. 火薬(塩硝)づくり

→ 加賀藩の御用達として、密かに火薬の原料を製造

→ 生産方法は“門外不出”、村内で完結する仕組みが整っていた

 

これらは単なる産業ではなく、冬を生き抜くための生活の知恵であり、

同時に、他地域との交易によって文化を外へと開いていく“接点”でもありました。

 

 ▶ 「不便」を逆手に取った自給型文化

 

五箇山では、長い間「移動できないこと」が前提の暮らしが営まれてきました。

それゆえに、衣食住すべてが“村の中でまかなえる”よう工夫されています。

  • 食料は、山菜・豆類・乾物・塩漬け・凍み豆腐などで保存
  • 冬支度は秋に共同作業で行う(薪割り・雪囲いなど)
  • 家屋は住民総出で建て替え・茅の葺き替えを行う

このような「地域共同体」的なあり方は、

現代においては失われつつある“共助と循環”の原型とも言えるでしょう。

 

 ▶ 五箇山の“今”:文化としての継承と暮らしの維持

 

五箇山は観光地であると同時に、「人が実際に暮らしている村」です。

ここには、

  • 小学生の登下校の声
  • 茅葺き屋根の修繕風景
  • 地元の祭りで踊る青年団
  • 和紙を漉く職人の手の動き

──そんな“生活のリアリティ”が日常的に存在しています。

また、外部からの移住者によって、

  • カフェやゲストハウスの開業
  • 地域ガイドツアーの運営
  • 茅葺き修復技術の継承活動

など、新たな循環も生まれつつあります。

単なる「残すべき歴史遺産」ではなく、

“いまを生きる場所”としての五箇山に目を向けることが、

この地域の真価を感じる第一歩になります。

 

 【第3章】町と町が文化で張り合う“多心型の誇り”

南砺市の最大の特徴のひとつは、“中心が一つに決まっていない”という点です。

井波、福光、福野、城端──いずれの町にも個性と文化があり、

市民の多くが自分の住む町に対して強い誇りと帰属意識を持っているのです。

 

この章では、その中でも特に存在感のある3つの町──

井波・福光・城端──を取り上げ、

それぞれの“文化的な張り合い”を見ていきます。

 

 ▶ 井波(いなみ):木彫刻と門前町の誇り

南砺市北部に位置する井波は、250年以上の歴史を持つ木彫刻の町です。

その原点は、1759年、加賀藩の本山「瑞泉寺」が火災で焼失した際、

京都の名工・前川三四郎が再建に招かれたことに始まります。

以来、井波には彫刻職人が次々と集まり、

現在では100人以上の職人が町内で活動する

全国屈指の木彫刻の産地に成長しました。

 

▶ 彫刻が“生活の風景”になっている町

井波を歩けば、

  • 表札や看板、バス停に至るまで木彫のデザイン
  • 通り沿いには彫刻工房が軒を連ね、制作風景が見える
  • カフェやホテルのインテリアにも木彫がふんだんに使われている

というように、町全体が“ギャラリー”になっていることに気づきます。

 

また、瑞泉寺の巨大な山門と石畳の通りは、

“地方の小都市”の印象を一変させる重厚さがあります。

職人文化と宗教文化が交差するこの町には、

「自分たちの手で築き、守ってきた文化」という自負が流れています。

 ▶ 福光(ふくみつ):棟方志功と民芸・アートの町

 

一方、井波とはまた異なる文化の空気を持つのが福光です。

この町は、戦時中に疎開してきた版画家・棟方志功が長く滞在し、

その間に数多くの作品を残した“志功の町”として知られています。

 

▶ 志功が愛した農村文化と静けさ

 

棟方志功は、戦中・戦後にかけて福光に滞在し、

地元の人々との交流を通じて、農村の自然や精神性に

インスピレーションを得たと言われています。

 

現在も、「愛染苑(あいぜんえん)」という志功の旧居が保存されており、

そこでは彼が実際に使っていた道具や作品を見ることができます。

福光はまた、民芸運動やアートフェスの拠点としても知られており、

ギャラリーや工房が点在し、“暮らしの中の芸術”という言葉がぴったりの町でもあります。

▶ 農とアートの融合

さらに、福光の文化は「農と結びついている」という点でもユニークです。

  • 農家民泊や体験型の農業イベント
  • 地元食材を使った“田園カフェ”
  • アーティストが古民家を再生して運営する空間

など、都市型のアートとは違った“土の匂いがする表現”が生きています。

 

こうした静かな文化の発信は、

近年、都市部からの移住者や旅行者にとっても魅力的に映っており、

「隠れた文化都市」としての評価も高まっています。

 

 ▶ 城端(じょうはな):小京都と呼ばれる町並みと祭礼の誇り

南砺市南東部に位置する城端は、加賀藩の“要”として発展した商人の町です。

古くから善徳寺の門前町として栄え、

現在も“加賀の小京都”と称される美しい町並みが残っています。

 

▶ 曳山祭という「誇りの極み」

城端を語る上で外せないのが、

毎年5月に開催される「城端曳山祭(じょうはなひきやままつり)」。

これはユネスコ無形文化遺産にも登録されている伝統行事で、

約300年の歴史を持ちます。

 

特徴的なのは、曳山(山車)に「庵屋台」と呼ばれる舞台が付いており、

子どもによる“庵唄”の上演が行われる点

この唄は、町ごとに違った節回しがあり、

町内の誇りが凝縮された文化でもあります。

 

曳山の準備や舞の練習は、1ヶ月以上かけて町内総出で行われ、

まちぐるみで「文化を継承する責任」を果たしている点も注目されます。

 ▶ 城端の“町家文化”と細道の美

 

また城端は、町並みそのものが美しい。

  •  千本格子の家並み
  •  白壁と石畳
  •  表通りと裏通りの生活感

こうした町家の構造や意匠が今も残っており、

まさに「歩く文化財」と言っても過言ではありません。

 

観光拠点としては、「じょうはな座」や「桜ヶ池クアガーデン」なども整備されており、

観光と生活がうまく融合している町でもあります。

 

 ▶ 「うちの町が一番」の気概が文化を育てる

井波の彫刻、福光の民芸、城端の祭り──

それぞれの町が、まるでライバルのように

“うちの町こそが南砺の顔”という誇りを持って文化を守っています。

 

これは、単なる郷土愛にとどまりません。

文化が地域を支え、地域が文化を育てるという循環が、

南砺の町々には確かに存在しているのです。

 

それぞれの町が独自の誇りを保ちつつ、全体として南砺市を形づくる。

この「張り合いがあってこその多様性」こそが、南砺市の最大の強みであり、

訪れる人にとっての“文化の深み”となっているのです。

 

 【第4章】南砺の人と暮らし

 

南砺市の魅力は観光地や伝統文化だけではありません。

むしろ、その土地に根ざした人々の暮らしぶりや価値観こそが、

地域の本質を形作っています。

 

山に囲まれ、雪深く、農業と林業が生活の基盤──

そんな環境の中で育まれてきた暮らしは、

都市生活とは全く違う「人と自然の距離感」を持っています。

 

 ▶ 自然と共に生きる生活リズム

南砺市では、四季がはっきりと分かれ、

それぞれの季節が生活に直接影響を与えます。

 

  • 春:田植えの準備と山菜採り
  • 夏:稲の世話と地域祭り
  • 秋:稲刈り、野菜の収穫、秋祭り
  • 冬:雪下ろし、保存食づくり、屋内での手仕事

 

特に冬は3〜4ヶ月間、雪が生活を支配します。

雪囲いや除雪といった労働が日常であり、

その中で家族や地域が助け合う姿が見られます。

 

 ▶ 地域のつながりが生活の基盤

南砺市の人々は「助け合い」を生活の前提としています。

たとえば、豪雪で道が通れなくなれば近所同士で除雪を手伝い合い、

祭りや農作業では大勢で共同作業を行います。

 

このような地域共同体のつながりは、

都市部のような匿名性の高い社会では味わえないもので、

訪れる人からすれば

「時間がゆっくり流れている」「人が近い」と感じる要因になります。

 

 ▶ 伝統と現代のバランス

南砺市では、伝統的な暮らしが現代の便利さと融合しつつあります。

  • 合掌造りの家に住みながら、太陽光発電やWi-Fiを導入
  • 古民家を改修してカフェやゲストハウスに
  • 農業にドローンや自動運転トラクターを活用

こうしたハイブリッドな暮らしは、移住者にとって魅力的な選択肢であり、

近年では若い世代やクリエイター層の移住も増えています。

 

 ▶ 地域の「顔」になる職人・農家・アーティスト

南砺市の暮らしを語る上で欠かせないのが、地元で活躍する人々の存在です。

  • 木彫刻職人(井波)
  • 和紙職人(五箇山)
  • 漆器職人(城端・福光)
  • 地酒の杜氏(市内各所)
  • 有機農家やチーズ職人(利賀・平地域)

こうした人々は、観光パンフレット以上に南砺の魅力を伝える“生きた広告塔”です。

観光客との会話や体験提供が、地域のファン作りに直結しています。

 

 ▶ 生活の中の食文化

南砺の暮らしは、豊かな食文化とも密接に結びついています。

  • 五箇山豆腐
  • かぶら寿司
  • さといも料理
  • 地元の山菜天ぷら
  • 冬の鍋(しし鍋、いのしし汁)

これらは単なる料理ではなく、

季節ごとの行事や家族の集まりと結びついています。

特に冬の保存食文化は独特で、

冷凍庫や冷蔵庫に頼らずに雪や気温を活用して保存する方法が今も残っています。

 

 ▶ 外から来る人が感じる「懐かしさ」

移住者や観光客の多くが口にするのは、

「懐かしい感じがする」「祖父母の家を思い出す」という感想です。

それは、木造家屋の匂いや薪ストーブの温もり、雪かきの音、

夜になると真っ暗になる集落の静けさ──

こうした日常の風景が、都市では失われつつある原風景だからです。

▶ まとめ

南砺市は、富山県西部に広がる多心型都市で、

旧8町村それぞれが独自の文化と誇りを持ち続けています。

五箇山の世界遺産合掌造り集落や井波の木彫刻、城端の曳山祭など、

地域ごとの歴史と暮らしが息づいています。

そして人々の温かな暮らしが訪れる人を魅了する奥深いまちです。

コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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